一応はしくれですから

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私の(よさこい界での)本業は各地のよさこいを見に行き、文章を書き、紹介することです。
元々よさこいの研究をしていたこともあり、もう一つ私が力を入れているものがあります。
それはよさこい論文の収集です。
全国にはよさこい論文が(実は)結構あります。
舞踊、音楽、教育…など、様々なアプローチからよさこいに関する研究成果が上がってきています。
私は、よさこいと地域社会にかかわる研究をしていたため(かなり大雑把)、その手の論文が私の守備範囲です。
先日、国立国会図書館に行く用があったので、いくつか最近のよさこい論文を入手してきました。
その中の1本、高知大学の高橋先生(音楽の先生)の論文が結構おもしろかったのでご紹介します。
題目は「よさこい祭りができる前までのよさこい節の変遷」(噛み砕いて紹介しているためかなり大雑把)です。
江戸時代から戦後すぐぐらいまでのよさこい節の変遷について書かれています。
以下、「まとめ」で紹介されていることをエッセンスをかいつまんで紹介します。
第一に、この間でもよさこい節は全国に伝播し、いろいろな詞がつけられていたようです。
江戸時代末には大坂や京などの大都市、明治には地方都市でも流行。
お座敷歌であったというのはすでにこのころからのようです。
第二に、日露戦争(1904年)の時に「ロシャコイ節」という替え歌で流行したこと。
このころは、政治的内容を風刺して歌う人がいたようで、民衆に支持されたとのことです。
第三に、地方の観光ブームがよさこい節の新作歌詞を作ることに貢献したこと。
いわば「ご当地ソング」の流行です。
第四に、博覧会が大きな影響を与えたこと。
戦後に開催された南国高知産業博覧会からよさこい踊りの新しい振付が考案され、よさこい祭りの開催へとつながっていったようです。
以上の要素は、現在のよさこいの伝播と関連するところが多く、大変興味深いですね。
特に江戸末期以降、全国に伝播するなど、現在の要素に近いものがある。
「ロシャコイ節」にはびっくりしましたが…。
今でいうとこの…、相模原の「よっしゃこい」?
「よっしゃこい」には、政治的要素ないですけど(笑)。
この論文、ご覧になりたい方は国会図書館へ。
一般の図書館には…ないですね、たぶん(爆)。

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