教師になり損ねた自分
元々、小さい頃の夢は先生になることだった。
横浜の1980〜1981年生まれの子どもたちは、21世紀に最初に成人を迎えるということで、将来の夢を書いてタイムカプセルに入れるというのを学校でやっていた。
小学3年生当時、私が書いたのは、当時通っていた小学校の先生だった。
1年生のときから個性的な先生に恵まれていたのが大きいのだろう。
ただ、小学校は体育ができないといけない。
超運動オンチの私には諦めざる得ない夢だった。
でも、中学校なら教科担任制で自分の好きな教科を教えられるらしい。
社会が好きな私は社会科の先生になろうと思っていた。
中学校に入って、高校なら地理の先生というのがいるのを知ったとき、高校の地理の先生になるぞと決めて、高校入学を飛び越えて大学の志望校まで本気で考えるようになっていた。
しかし、当時は先生になるのにものすごい倍率を通らねばならなかった。
特に高校の地理歴史は高校数の多い神奈川県ですら採用がないという状況。
新聞の地方欄を見ながら頭を抱えていたことを覚えている(どんな中学生だ)。
そんなこともあり、先生になるという夢は諦めることにした。
学部のときの大学も、大学院の大学も、教員免許は取れたにも関わらず、取ろうとはしなかった。
自分のやりたい方向は観光関係や地域活性化など、人を楽しませる方向へと変化していったのだ。
その後の職業は何かを分析したり、文章を書いたり。
やりたいこととは違う方向に進みながら、今に至っている。
そして今。
昨年ぐらいから教えることへの情熱が再燃しているようだ。
ファシリテーションの資格を取ろうと、昨年は2つの資格を取得した。
見切れ写真師範になったのも昨年。
今年に入って、すでに10回ぐらい見切れに関する講座やイベントを開催している。
また、先日会ったこばけんさんにも教えることがしたかった人ということで一緒にいた方に紹介される具合であった。
自分が過去描いていた教えるという符号が、いったん遠ざかって、また近づいてきている。
「私、今後、教えること、何かやるのだろうか。」