それでも横須賀は第二のふるさと

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自分は普段の自己紹介で「生まれてこのかたほぼ横浜市民」と言っている。
ほぼなのには理由があって、それは「生後3ヶ月までは横須賀市民」だったからだ。

父の実家が横須賀で、勤務先が川崎だったこともあり、両親が結婚してすぐは父の実家近くに住んでいた。
そのため、私の出産は横須賀の病院だった。
その後、横浜市内の社宅に入れることになり、私は生後3ヶ月で横浜に越している。
以降、私の引越しは横浜市内で完結しているため、私の住民票には未だに「昭和55年11月30日に横須賀市より転居」と書いてあるのだ。

もちろん、私に生後3ヶ月間の記憶はない。
それでも、自分にとって横須賀は第二のふるさとである。

そうと言い切れる一番の理由は、私の通っていた高校が横須賀にあったからだ。
横須賀の中心部にあり、高校の隣は米軍基地と記念艦三笠のある三笠公園、近所にはドブ板通りとザ・横須賀的なものに囲まれて生活していた。
実際のところ、米軍基地内を眺めるのは体育のテニスの授業ぐらいだったし、三笠公園に入ったのは体育のダンスコンクールの練習に嫌々参加した時ぐらい。
ドブ板通りに行った(通った)回数もたいしてない。
それでも、あの横須賀のアメリカチックでとがった空気を一身に受けたことは思春期の自分にとっては大きな経験だったろう。
また、学校の帰りに父の実家に行ったことがちょくちょくあったのも横須賀が第二のふるさとであると言える所以かと思う。
祖母が健在で、私のことを可愛がってくれていたこともあったからなぁ。

現在、横須賀に行くことは年間で片手で数えられるぐらい。
10日前に行った横須賀は本当に久々だったぐらいだ。

それでも、私にとって横須賀は第二のふるさとであると言い切ろうと思う。

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